私が所属する音楽教育研究室では、音楽と人間の多様な関わりを深く見つめ、それを教育的な視点から探究することをテーマに研究を行っています。本研究室は大学院の独立講座であるため、学部時代に培った知識や技能を土台としてさらに磨きをかけ、多様な環境で行われる音楽教育や学習の実態をより深く解明することを目指しています。
他方、学部では主に教職課程の運営を担っています。東京藝術大学における教員養成の歴史を紐解くと、その起源は東京音楽学校の師範科時代にまで遡ります。この歴史に触れるたびに、日本の音楽教育の礎を築いてきた場としての重みを改めて実感します。
先日、日本音楽教育学会のシンポジウムに登壇する機会をいただいた際、教職に就いている卒業生数名に「大学時代の学びがどのように教職に活かされているのか」というテーマでインタビューを行いました。卒業生たちは、演奏活動や大学院での学業と並行して教壇に立っていたり、専任教員として音楽科主任を務めていたりと、それぞれ多彩な形で活躍していました。そして、彼らが大学時代を振り返り、共通して語ったのは、「表現者としての自己を探究していく過程」「仲間と音楽観をぶつけ合った経験」「教材を文化財として捉える意識」などが、教師として生徒の前に立つ上で非常に重要だったということでした。これらの言葉を聞き、大学での学びが彼らの教職の基盤となっていることを実感するとともに、自身が担当する「教科教育法」の授業のあり方についてさらに深く考えるようになりました。
現在、学校における音楽教育の環境は劇的に変化しています。GIGAスクール構想の推進や一人一台端末の導入により、デジタル教材やオンラインリソースが普及し、学習の多様性が拡大しています。こうした変化に対応するためには、時代に即した新しい学び方を模索することが欠かせません。また、教育現場では生徒たちの音楽的背景や教材も多様化しているため、さまざまな音楽文化に対応できる幅広い知識が求められます。音楽教材は単なる学習ツールではなく、豊かな歴史や文化が凝縮された「文化財」であり、その価値をいかに生徒に伝え共有することは教師としての大切な役目です。一方で、大学における専門性の高い学修と教職課程での学びをいかに両立させるかという課題も浮かび上がってきます。
さらに、変化の激しい社会に対応できるよう、「何ができるようになるか」、「どのように学ぶか」を重視するコンピテンシー?ベースのカリキュラムへと教育構造改革が図られています。「深い学び」へと誘える授業をデザインするためには、個々の生徒の学習プロセスのなかに学習の価値や質を捉えることがより重要となっています。
このような現状をふまえて、「教科教育法」の授業では、学生が協働的に教材研究を行い、それを基に授業デザインを構築するプロセスを経験する時間を大切にしています。この過程で、学生たちは自らの感じ方や考えを言語化し、他者と共有することで視野を広げていきます。さまざまな専攻を交えて練られた授業デザインには、予想もしなかった興味深い提案が、度々盛り込まれています。このような体験は、授業デザインの質を高める基盤となると考えています。
また、熟達した教師の授業を観察することも積極的に取り入れています。学生たちは、授業を受ける立場から教える立場に視点を転換することで、授業の具体的な手法や生徒との対話のあり方を学び取る機会になっていると感じています。そして、この観察と振り返りのプロセスを通じて、自身の被教育経験が相対化され、音楽授業観や理想とする音楽教師像が形成されていくのではないかと考えています。このように、他者の授業から学ぶ姿勢を大学で養うことが、教育実践の場における応用力や創造性につながると願っています。
私は、「教科教育法」の授業は、音楽教育の実践と大学の学びをつなぐ架け橋であり、音楽をどのように伝え、共有し、教えるかを探究する場だと考えています。学生たちが自らの専門性を活かし、実際の教育実践の場で生徒の学びを支える力を身につけられるよう、授業のあり方を引き続き探究していきたいと思います。
写真(上):実践提案の風景
【プロフィール】
市川恵
東京藝術大学 音楽学部准教授
東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程音楽文化学専攻音楽教育修了,同大学院博士課程修了。博士(学術)。修了時に,大学院アカンサス音楽賞受賞。早稲田大学教育?総合科学学術院講師を経て現職。音楽科における授業研究,教師研究,カリキュラム研究の他に,生涯学習としての合唱活動の意義や役割について研究をおこなっている。『文化としての日本のうた』(分担執筆,2016年,東洋館出版),『わたしたちに音楽がある理由』(分担執筆,2020年,音楽之友社),『「総合的な学習/探究の時間」の指導に関する理論と実際』(共編著,2024年,教育芸術社)がある。東書WEBショップ音楽専門館にて「クラス合唱の歴史と展開」を連載。